「デザイン→コンテンポラリーアート」

Facebookでの後藤繁雄さんの言葉、「デザインという、アートからすれば、音楽やメディアのような「周縁」に見える分野こそが、これからのコンテンポラリーアートを牽引する」。その言葉がぐっと胸に響いた。そういえば、以前、建築家/黒川雅之さんが「アートは、デザインという概念の内側にある。デザインとはそれほど大きな概念と、僕は考えている。」と話していたののも思い出した。

今まで、僕がプライベートで制作し続けているアートワークは、「デザイン」というアップローチの「自己の中にある美の探求」であり、「アート/芸術」という領域への挑戦だったように感じる。しかし、今のアートマーケットでは僕の作品は、価値はない。むろん、アートマーケットで売ることを考え制作している訳でもない。よって、僕はアーティストとしては、プロではなくアマチュアだろう。しかし、自分で言うのも、なんだが、僕が作る「自己探求」をし出来上がった作品はとても正直でピュアだと思う。そして、それによって生まれた出会いは僕の人生を豊かにしてくれている。「自己」に向かう姿勢は非常に日本的で「華道」「茶道」「禅」の姿勢に通じる。いずれ、時間とともに僕の作品は価値を生み、お爺ちゃんになる頃にはいい値段がつくかもしれない。(笑)しかし、人生で言えば、本当の価値は「値段」ではなく、そこから生まれる「出会い」なんだと思う。改めて、僕はデザインというアート活動を続けようと思う。そして、死ぬまでに僕のデザインが高みに届き、アートになればいい。

「キュレーション的感覚」

あるクリエイティブエージェンシーとのミーティングで、「広告関係を長くやっているとプロダクションやエージェンシーは、今のデジタル時代について来れないスタッフを抱えていて、かつ、時代にあったいい新しい人材は入ってこない。。。」とぼやいていた。

時代は人材/スキルも、クラウド/シェアなんじゃないかと感じる。新しさ、想像力やアイデアがほしいならば、売上げを気にして社内ですべて制作しても、それはなかなか生まれない。外に目を向けて、キュレーション的感覚が必要で、これからは組織から「個+個」の時代に流れているように僕は思う。インターネットが環境を変化させている。世界は狭くなり国境も曖昧になっていく。グローバルとローカル。クリエイティブな時代。全てが僕らデザインの時代に流れている。